上田正昭先生に関するお知らせ
  
日頃当館をご愛顧いただいているみなさま。
高麗美術館の館長、上田正昭先生が3月13日急逝されました。
上田先生は1969年の「日本のなかの朝鮮文化」創刊当時より鄭詔文を支え、高麗美術館を開館へと導いてくださいました。先生は高麗美術館にとって大きな光のような存在でしたので、本当に残念でなりません。
上田先生が提唱された、文化の交流が「民際」へとつながり、真の「誠心の交わり」となるという、民族と国を超えた精神は、高麗美術館の原点であり、今なお当館の基本理念となっております。
鄭詔文や作家の金達寿とともに上田先生が日本各地へ残した足跡は三十を超えます。現場から歴史を見直すという姿勢は、古代の朝鮮半島と日本の交わりを地方の視点から見直すという新たな視座を開いてくれました。
上田先生は鄭詔文の心からの友人として関わってくださった学者のひとりでした。先生が真摯に「古代日朝関係史」に取り組む姿は、我々にとってどんなに希望と光を与えてくださったことでしょう。
ここに上田先生の言葉を紹介させていただきます。
 
「小さな美術館かもしれないが、そこにはきらりと光るものがある。朝鮮半島の古代から近代までの文物の、あせない輝きがある。〝もの〟そのものが、生きた歴史と文化のありようを問いかける。朝鮮半島の文化や美術の研究者の層はけっして厚くはない。高麗美術館の展示を媒体に、より身近に、みずから会得しみずから学習して、そのへだたりをのりこえたところで実感してほしいものである。
政治やイデオロギーの枠ぐみのみで、文化をうんぬんすることはできない。すぐれた高麗青磁や李朝白磁の背後には、そのような逸品をつくりだし生みだした、たくみの人びとがいた。渡来文化の背景にも、古渡(こわたり)や今来(いまき)の集団があった。そのまじわりの接点にも目くばりしたいものである。高麗美術館館友のあらたな輪がつながって、この美術館のさまざまな企画が有意義なものとなるよう、心から願ってやまない。」(「きらりと光る美術館」より)
 
これらの言葉はまさに学術の世界にとどまらない指針であり光そのものです。私たちは上田先生が目指された「民際の美術館」という言葉をもう一度胸に刻み、高麗美術館を守っていきたいと思います。
小幡神社境内の自宅の庭には、上田先生の歌碑が建っています。
 
山川も草木も人も共生の
  いのちかがやけ新しき世に
 
先生の魂は大きな光の輝きとなり、生きとし生けるものすべてのいのちの光となられたのでしょう。心からご冥福をお祈りいたします。
2016年3月14日
 公益財団法人 高麗美術館 理事長 呉連順


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当館2階において、上田正昭先生の業績に敬意をこめて、著書コーナーを設置いたしました。


上田正昭先生の著書のなかには、古代から近現代に至るまで、幅の広い学識から朝鮮半島と日本のかかわり、さらに東アジアの視点から現代を見据えた著書がたくさん並んでいます。共著・編著を含めると500冊ほどの数もあります。書評を含めると膨大な数になります。当館の二階には、上田正昭先生の著書60冊をどなたでも読めるように並べております。
 
古代史から朝鮮通信使、京都と渡来人、古代東アジア、詩集などを並べております。一例として『上田正昭著作集』、『日本古代史をいかに学ぶか』、『私の日本古代史』、『歴史に学ぶ』、『古代の道』、『歴史と人間の再発見』、『古代学とその周辺』、『歴史のなかの人権』、『アジアのなかの日本を探る』、『アジアと日本のルネッサンス』、『「とも生み」の思想』、『京都のなかの渡来文化』、『古代日本の輝き』、『朝鮮通信使』、『古代史から日本を読む』、『古代学とその周辺』、『日本の原像』、『日本の神話を考える』、『日本文化の原点』、『大和朝廷』、『雨森芳洲』『藤原不比等』、『日本武尊』、『吉野』『日本古代国家論究』『古代日本と渡来の文化』、『古代伝承史の研究』、『日本文化の基礎研究』、『帰化人』などを置いています。
 
どうぞ時間のいくまでお読みくださいませ。上田先生のメッセージから、これからの東アジアの一員としてどう未来を生きていくかその指針をご自分でお探しください。